事例詳細

調査・質問内容

上州の三分限者として「一加部、二佐羽、三鈴木」と言うらしいが、三の鈴木(重兵衛)に関する資料はあるか。富岡市の宮崎公園の土地を所有していたらしい。

図書館からの回答

公開日 2019/05/19

鈴木家は佐羽・加部とともに上州三分限の一つで、江戸期は重兵衛を襲名、七日市藩に仕えて扶持米・金子済方を務めていた(『群馬県姓氏家系大辞典10』)。 甘楽郡宮崎村・神原村(現富岡市)に耕地を持ち、集積した土地を地主手作していた豪農。労働者を使い麻の栽培をするほか、「よろずや」の名で宮崎の宿場商人・在郷商人、手作地主として西上州地域の特産商品・麻絹の生産・流通の中心的存在だった。(『宮崎旧鈴木家文書 [Ⅳ]』 解説)  また、『群馬県議会史 別巻』によると、県会議員を務めた鈴木城作の父久衛(襲名して重兵衛)は家塾を開いて附近の子弟に教えていた。 城作は梅林を経営し宮崎の名所とし、現在は富岡市立宮崎公園となり市民の憩いの場となっている。

参考文献

タイトル 注記
角川日本姓氏歴史人物大辞典 10 群馬県 505-506 鈴木【富岡】
群馬の苗字 続 朝日新聞社 1969 180 富岡市宮崎の鈴木
群馬県議会史 別巻 260 鈴木城作
上州の苗字と家紋 上毛新聞社 1979 632 鈴木(富岡)
宮崎旧鈴木家文書 Ⅰ 富岡市立美術博物館 1996
宮崎旧鈴木家文書 Ⅱ 富岡市立美術博物館 1997
宮崎旧鈴木家文書 Ⅲ 富岡市立美術博物館 1997
宮崎旧鈴木家文書 Ⅳ 富岡市立美術博物館 1997

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